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夕会ノートより(2022年度②)

夕会ノートより(2022年度②)
 
 ウチは最近なんだかよー分からん。本当に何だかよー分からんのです。この夕会だって本当に何書いたらいいのやら。もう自分に残された夕会は僅かだってのに。もっと書きたいことは他にあるはずなのに。なんだかふわふわしてます。日常生活だってそうです。考えることは沢山あるはずなのに。立ち止まって考えなければいけないことがいくつもある。それなのに毎回毎回が、なんか、なんだかベルトコンベアにでも乗せられたんか?みたいに気づいたら終わってます。最近は日が沈むのも早くなりましたからね。もうほんと、あっちゅう間ですよ。もう気づいたら夜です。やれんです。ほんと。
 昨日などもっと周囲に対して好奇心を持ち観察する心を持てばこの虚無なる時間をものにできるのでは、と考え地塩の外にあるシャチホコとずっとにらめっこしてました。結果、分かったことといたしましては、①ボロボロであること、②粘土でできていること、③重いこと、以上です。
 自分のジョジョって漫画に岸辺露伴ってのが出てくるんですけど、彼漫画家さんですっごい真面目なので、漫画のアイディアのために物凄く周囲に対して好奇心旺盛なんですよね。なんか家にタランチュラみたいな手のひらサイズぐらいの結構デカめのクモが現れたときも彼はまず素手で捕まえてましたね。躊躇せずに。そのあとひっくり返したりして細かく観察してたんですけど。これでもまあまあ「おおう」って感じなんですけど、このあと彼「念のために味も見ておこう」つって舐めてましたね。クモ。これを見たとき自分、何にか分かんないけど「あぁ負けたわぁ」って思いました。
 なんか自分がシャチホコ見つめてるときずっとこれが頭にあって。好奇心を持つということはこれぐらいするべきかと十秒ぐらい悩んだのち、やっぱりやめました。今思うとやったらよかったわーと思います。そうしたらこの夕会にももうちょっと実を持たせられたかもしれないのに。後悔です。後悔、後悔。
 なんか、後悔ついでにもう一つ喋ってもいいですか。こっちの方は多少なりとも実があると思いますので。
 あるとき、僕はひきこもりになったんですよ。入道雲がモコモコ出てくるエネルギッシュな夏のころです。その日から神聖かまってちゃんの「OS―宇宙人」が僕の中のテーマソングとなりまして。歌詞はこうです。「二年生、バカは一人、ここの街の、空見上げる、サボリ学生パジャマ着てる、夏休みが、こずに中退」今でもカラオケにたまに行ったらストレス発散もかねてよく歌います。十八番が嫌いな僕の唯一の十八番です。「サボリ学生パジャマ着てる」がいいですよね。僕も一日中パジャマだったなぁってとても薄ぼんやり思い出します。このような歌詞がするっと出てくるのはやっぱり「体験」したんだなぁって思いますよね。なんだか仲間のように思えて僕は彼らが好きです。
 あのころのことはあまりよく覚えてません。ただ三年の一学期の途中から卒業まで引きこもっていたことを考えると、相当長く引きこもっていたはずです。だけどもそれは、今思い返すと、一ヵ月だったような、はたまた一週間だったような、すごく曖昧な時間の流れ方として僕の中に残っています。まるで夢を見ているような感じでした。
 僕の時間は止まってました。一日一日、時間が経つごとに、どんどん社会から、ひいては世界から置き去りにされていく。それは一生このままなのではないか。そのような恐怖があざのように内側から青黒くグズグズと広がってゆきました。なので僕は夜にいることに決めました。昼間発せられる音は僕にとって恐怖だったからです。早朝ポストに新聞が入れられる音。人間社会が今日も動き出す音です。そして家族は自分が所属している集団へ今日も出かけてゆきます。僕だけがこのままです。僕だけがこの止まった時間の中にいます。僕だけが異質です。それを意識することが苦しかったから。僕は夜に逃げました。
 逃げ込んだ夜は居心地がよかったです。静かでした。何の音もしません。したとしてもそれは、僕と同じ、世界から分断された音です。全てが青白く映りました。思考や感情はドロドロに溶け飽和してゆきました。その部屋で僕は自分を責めました。責めるごとに劣等感が僕を包み、その劣等感は僕の部屋の中で青白く甘くプカプカ漂いました。それは一日一日と経てば経つ程、濃く、やがては官能的なものとなり、僕はその部屋で自分は今一人であることを確信し、こうして初めて僕は自分を満たすことができました。
 そのような夜を際限なく繰り返したのち、僕は引きこもるのをやめました。中学校を卒業したというきっかけはあるにはあると思いますが、僕はただ単に僕の傷を舐めることに飽きたんだと思います。
 僕の大好きなアニメに新世紀エヴァンゲリオンというアニメがあります。その中にこんなセリフがあります。「苦しいことを知っている人ほど、人に優しくなれるんだよ。」僕はこれを引きこもっているときに見、これを「弱い人ほど人に対して優しくなれるのだ」と解釈しました。それならば僕は観音様にでもなれるわとその当時は思いました。ガキですよね。そして愛真に来て自己しか見れず他者を思う視点を持てずはて?と首をかしげたりしました。今思えば当然です。僕はただ単に自分の弱さに溺れていただけなのですから。僕は引きこもり、僕は可愛そうだという意識を深く植え付け、植え付けた結果、他者に対してこれぐらいはこんな可愛そうな僕なのだから当然と考え、自分に対しても責任はないと、同じ理由で思いました。僕はただの傲慢野郎になってました。僕は今でも感謝できません。人からされてもらったことも、お返しを返さなければいけないと、その重荷から逃げ出したくなります。それゆえ僕はありがとうとめっちゃ言います。僕は弱いですから。でもそれをもう二度と舐めたくはないです。
 最後に僕のテーマソング「OS―宇宙人」ですが、ストレス発散と言ったように、あの歌詞で結構ロックでアップテンポなのです。僕はそこに傷を舐めるのではなく向き合うといった意志を感じます。そこから生まれるものだからこそ僕は感動します。だから僕は銀杏BOYZが好きですし、かまってちゃんが好きですし、マキシマムが好きです。反対にただ自分の傷を嘆くだけの歌は嫌いです。自分の弱さに装飾を施し、その傷を象徴化し高めようとする。そんな自分の傷を舐めるだけの歌は嫌いです。ただ落ちていくだけは簡単です。飛行機が墜落していくようにただ成り行きに身を任せ落ちてゆけばいい。しかしそこから上がろうとなると相当な時間と労力が必要になります。だからこそその姿は美しく輝くのではないでしょうか。僕が望む陰キャ像とは、ただ自分の弱さを嘆くのではなく、そこに立ち向かうことでポロポロと生まれてくる、そういったものを見つめること。それが僕の望む陰キャ像です。             
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