「愛真の集い」講話(2010年度) 感謝と希望 ―地を継ぐのは誰か―
(1)
一九八五年一月一九日にこの今井館で「愛真高校設立募金発起人有志懇談会」が開かれました。それから二五年後の今日、同じ今井館で愛真高校の卒業生や愛真で日夜労された諸先生方、愛真をこよなく愛される皆様方と「愛真の集い」が開かれることに、僕の胸は本当に大きな感謝と感動で溢れています。二五年前、有志懇談会に出席した人で、今日のような感謝の集いが開催されることを想像できた人は、一人としておられなかったろうと思います。
神様は約束を実現してくださったのです。神様の真実を信じて出発した愛真は、今日まで守られ導かれてきました。何という恵みでしょうか。もしこの世の中で「神様の存在を見せよ」と言われたら、僕は愛真が今日まで導かれ、歩んで来ることができたことを示します。神様は今も生きて我々と共に歩んでいてくださることをまず感謝したく思います。
愛真の創立責任者であった高橋三郎先生が天に召されたのは六月二四日でした。愛真の卒業生の心には高橋先生の祈りが刻まれています。交通事故に遭われるまでは、しばしば学校に足を運ばれました。病床に伏されるようになっても祈りを送ってくださいました。高橋先生は良心と責任を備える独立人が愛真から育つことを願っておられました。
(2)
「人は何のために生きるか」という愛真の教育の根底にある問いかけは、全ての人間に向けられています。この問いかけは高橋先生自身の青年期の中心課題だったのです。旧制高校時代、高橋先生はこの問題を解決しようと、恩師三谷隆正先生を訪ね、聖書の解き明かしを受けるのです。僕が高橋聖書集会に出席していた当時、集会はこの近くの目黒区商連会館で持たれていました。ある時高橋先生は、三谷先生の旧居が近く取り壊されるからみんなで訪ねよう言われ、三鷹にあった旧宅を高橋先生と集会員数名とで訪ねたことがあります。そもそも僕が高橋集会に出席するようになったきっかけは、三谷隆正全集の月報に高橋先生の文章が載っていたからでした。三谷先生の旧宅を訪ねた時の感動を今も忘れることができません。
その三谷先生の「問題の所在」という文章に、次のような趣旨のことが書かれています。
「人生の目的は何であるか。これは全ての人生問題中の最大問題であります。しかしこの問題は生きた人間の問題であって、死者の問題ではありません。死んでいる者は生きておりません。生きていなければ、また生きるについての問題もありません。人生は人生を生きている人、また生きるべく決心している人にのみ真剣な問題であります。生きることを否定してかかれば、その瞬間から人生問題はなくなります。故に人生の目的が何であるかを問題にする以上、まず生きる決心を固めてかかる必要があります。そうでなければ問題それ自身が真剣沙汰になりません。(中略)
例えば一生の事業として学問を選ぶとする。それはまず学問の意義目的が分かって決めることではありません。学問の意義目的が分かるまでにはかなり学問の道にいそしんでみなければなりません。そうやって励んでいる間に、徐々に学問の意義目的が納得できてくるのです。そして自分の一生を学問のために捧げようという決心ができるのです。」
「人生の目的は何であるか」という問いも同じだというのです。まず忠実に生きよ、そうすれば人生の目的が何であるかが分かってくるというのです。三谷先生は「真剣に生きようと決心をし、敢然として生活も突進して往くだけの勇気のある人のみが人生の目的を問う資格がある人です」と言っておられます。
この文章を読み直して思い出すことがあります。愛真高校が開校して何年目だったか、ある生徒が高橋先生に次のような質問をしたことがありました。僕の記憶に基づくものですから正確ではありませんが、主旨はこうです。
「人生の目的は何ですか」とある生徒が質問をしたのです。それに対して高橋先生はその生徒にこう質問を返されたのです。「君、寮で朝何時に起きている?掃除をしている?」これに対してその生徒は一瞬たじろいだ後、「起床時間に遅れることが時々あります。しかし掃除はそこそこ適当にやっています。」そうすると高橋先生は「起床時間をしっかり守り、掃除を心を込めてやってごらん。そうすれば先ほどの君の『人は何のために生きるか』という問いかけが自分のものになるよ」と応えられたのです。
高橋先生は人生の問題を抽象的な思考としないで、具体的に考えられました。僕は「真理とは具体的であり、実際的だ」ということを学んだのです。自分に今与えられている課題に誠実に取り組むことが、人生の問題への解決の第一歩であるというのです。真理というものは、座して腕を組んで考えても得られないのです。真理というものは憧憬(憧れ)の対象ではなく、実行して初めて把握できるものです。
(3)
愛真では米づくりをしています。今年も六月四日に全校で二反ほどの田んぼに田植えをしました。田植えをした後は、「作業」の時間に田の草取りをします。裸足で田んぼに入り、手で草を取るのです。炎天下での田の草取りは楽な仕事ではありません。四つんばいになって一本一本草を取ります。今年は雑草のコナギが多く大変でした。急いでやるとつい水面の上にある草のみを取って次に行ってしまうのです。根が残っていますから、次回行って見ると草は水面上に伸びているのです。一からやり直しです。草取りは丁寧にやらなければものにならないのです。田の草取りは人間の生き方を教えてくれます。手抜きをしては本物の人間にならないのです。
岩波文庫の中に内村鑑三の『代表的日本人』があります。愛真では二年生の国語の教材として使っています。その中に二宮尊徳についての文章があります。
「キュウリを植えればキュウリとは別のものが収穫できるとは思うな。人は自分の植えたものを収穫するのである」また「なすべきことは、結果を問わずなされなくてはならない」
さらに次のように言っているのです。
「荒地は荒地自身のもつ資力によって開発されなければならず、貧困は自力で立ち直らせなくてはなりません」人生を手抜きをすることなく、自分が与えられている現実と誠心誠意、取り組めというのです。自分に与えられた課題、それは困難であっても誠実に取り組むことによって天はそれに応えてくれるというのです。二宮尊徳の教えは現代にも真理として通用します。僕はこのような先人を与えられていることに感謝したいと思います。
韓国に愛真の姉妹校であるプルム学園があります。昨年訪問した折、洪惇明先生に「愛真の生徒数は少なく、志願者がなかなか集まらなくて苦労しています」と話したところ、洪先生が次のように話されたのです。
「いやプルムも高校課程を開校したころは、村から志願する生徒は二、三人でした。村の中学校に頼みに行ったら、二人も送ったではないかと言われたものです。志願者が少ないことは神様の恵みでした。今そう言うことができます。」
それを聞きながら、志願者が少ない今の時は、愛真にとって大切な基礎工事をしている時ではないか、根の営みをしているのではないかと思うのです。
ヘブライ人への手紙十二章の「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである」との言葉を思います。愛真は今は文字通り根を深く下ろそうとしているのかも知れません。木を植えてもすぐに伸びるものではありません。七、八年間は根を張る期間なのです。愛真の校内には今でこそ緑
が多くなっていますが、木々が生長し始めたのは植樹後、十数年後でした。
今与えられている生徒を心を込めて教育することが、実は学校の基礎工事をすることだと思うのです。このような時期に愛真で学ぶ生徒は、生涯を通じて最も大きな恵みを受けているのかも知れないと思います。
(4)
詩編三七篇三節に次のような言葉があります。
「主に信頼し、善を行え。この地に住み着き、信仰を糧とせよ。」
これは非難攻撃の渦中を生きている人間の祈りの詩です。当時も、世界は要領よく立ち振る舞ってうまくやっている者が幸せな生活をしていました。真面目に正直に生きている者が他人から馬鹿にされ非難される。今の日本には勝ち組という嫌な言葉が横行しています。働きが正当に評価されず、勝つか負けるかだけで人間が判断されます。真面目に生きることが馬鹿にされる日本です。
しかし、神様の見る眼は世間と異なるというのです。あくまで「主に信頼せよ」と言われる。信頼するのみならず、積極的に「善を行え」と神様は言われるのです。労働者の三分の一が非正規雇用者であるといわれる日本の実情からすれば、真に理に叶わない言葉です。
さらに大変な苦しみが襲いかかった時、私たちは今いる場所から逃げ出したくなるのが普通です。にも拘わらず、神様は今いるところ、今置かれている場所から逃げ出すなと言われるだけでなく、今自分がいる場所に「住み着け」と言われるのです。さらに生活を安定させる物質的手助けをするのではなく、人間から見れば腹の足しにもならない「信仰を糧とせよ」と言われる。神様はまず「神を信頼せよ」と言われる
のです。四節に「主に自らをゆだねよ 主はあなたの心の願いをかなえてくださる」とあります。これは責任は神様が持たれるという宣言です。これは大変な言葉です。
今年も岡山県の国立療養所邑久光明園の家族教会を訪問しました。毎年夏休みになると生徒とワークキャンプをするのですが、今年は都合で職員三名だけで訪問しました。家族教会の庭の樹木の剪定や教会の大掃除をした後、ハンセン病について学び、入所されている方々から辛い過去についての証言を聞くことにしています。
家族教会には津島久雄先生がおられます。津島先生は静岡県の小学校を卒業すると同時に、ハンセン病の療養所に入るのです。一九四一年四月のことでした。当時日本は中国と泥沼の戦争をしており、若者は戦場へ戦場へと送り出されていました。津島先生は小学校の卒業式で卒業生総代として答辞を述べるのです。それは母校や先生方への感謝であると共に、生まれ育った故郷への別れの言葉でした。友人には名古屋の中学校に行くからと言って、故郷の駅から深夜一人で療養所がある岡山に向かわれたのです。勉強好きの津島先生にとって、療養所に入ることは自分の将来を失うことでした。
療養所では辛く、希望のない毎日が待っていました。やがて療養所の教会に通うようになり、信仰を与えられ、新しい希望を見出します。しかしある日、いつまでたっても夜が明けないので、「今日は朝が遅いですね」と同室の人に声をかけます。「何を言っているのか、とうに夜は明けたよ」と言われ、津島先生は自分が失明したことに気づくのです。絶望の余り、自ら命を絶とうとするのですが、その時イエス様の
声を聞くのです。「久雄よ、死んではいけない」という声でした。その声に励まされて津島先生は生きる希望を与えられます。やがて神様のご用にあたる人間になろうと、長島愛生園にできた長島聖書学校に通い、検定試験を経て日本キリスト教団の牧師になり、家族教会の牧師として生きてこられました。
詩編三七篇五節から六節には
「あなたの道を主にまかせよ。信頼せよ、主は計らい あなたの正しさを光のように あなたの裁きを真昼の光のように輝かせてくださる」とあります。
療養所に入ると二度と外に出ることはできない。出ることができるのは、死んで火葬場の煙となってからだと言われていました。文字通り津島先生には「主にゆだねる」より道はなかったのです。しかし驚くべきことに神様は、津島先生を神様の御言葉を伝える伝道者として用いてくださった。主は計らってくださった。津島先生の礼拝を聞いて死から生への希望を抱いた人はたくさんいることでしょう。神様がなさる
深い計らいに思いを巡らせざるを得ないのです。津島先生には、一九九六年に愛真の礼拝でお話しして頂いたことがあります。この中にも津島先生にお会いしたことがある人もいるかも知れません。主にゆだねるとはどういうことかを津島先生の生き様から学ぶのです。
(5)
今考えたいことは「地を継ぐとはどういうことか、地を継ぐのは誰か」ということです。「地を継ぐ」のは人々の注目を集める人でもなければ、名声を馳せる人でもない。自分の与えられた場所で「主に望みをおく人」であるということです。詩編三七篇九節に「主に望みをおく人は、地を継ぐ」とあります。主に望みをおく人はどのような歩みをするのでしょうか。
マタイによる福音書五章四一節には次のような言葉があります。
「だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。」一キロメートル行けと言われたら、二キロメートル行くのです。世間から見れば馬鹿な生き方です。しかし、神の国は実はこのような人によって作られるのです。
愛真は今年で二三年目になります。教師として今思い願うことは、卒業生が文字通り「地を継ぐ」人間になって欲しいということです。卒業生の一人ひとりが置かれている現場は気持ちの良い場所とは限らない。むしろ逃げ出したいとさえ思う場所の方が多いと思う。しかし踏み留まって欲しい。今いる場所に住み着き、生き抜いて欲しい。愛真は一つの共同体です。愛真自体が今の日本という社会にあって、踏みとどまって「地を継ぐ」教育集団、教育共同体として前進したいと切に願うのです。
最後にボンヘッファーの文章を紹介します。「一人前の人間というのは、その人が現に立っているとこ
ろにいつもその人の生の重心がある。」つまり私たちが今立っているところに私たちの全てがあるのです。そして次のように言っています。
「一人前の大人は、いつもひとつの全体として生きる者であり、現実から決して身を遠ざけたりはしない。僕たちが今なお自分の願望というものにしがみついているなら、僕たちは自分のあるべき状態にも、ありうる状態にも、決して到達することはでない。しかしもし反対に、僕たちが現在の使命のために絶えず自分の願望を克服するなら、僕たちはさらに豊かな者になるのである。」
「自分の願望を克服する」とは詩編の言葉で言えば、「主に信頼し、善を行え。この地に住み着き、信仰を糧とせよ」ということです。それは今いる場所に「踏み留まる」ことでもあります。今いる場所で誠実に生きることです。私たちは「地を継ぐ」人間として用いられたい。「地を継ぐ独立人」として生きていきたい。高橋先生はそのことを天から祈っておられるでしょう。その力は主から与えられます。私たちの傍らにはイエス様がおられるのです。
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