見出し画像

収穫感謝 生徒の「ことば」  (2022年度) 養鶏班

 養鶏班では、毎日鶏から卵をもらっています。夏場には一日約四十個、冬場には一日五個から十個ほどです。有精卵が多くなるように、オスも一緒に育てています。そして、今年は小豆、大豆、ほうれん草などのいろいろな作物も育てました。など。このうちの多くは厨房に提供させてもらったり、えさとして使ったりしています。日々の作業でも感じることはたくさんあるのですが、何より深く考えさせられるのは、命を頂くということについてです。今回はこのことについて、話させてもらおうと思います。
 去年の夏、愛真に入学して間もなく、ちょうど養鶏班では鶏を解体する時期でした。自分が初めて体験に行った時から鶏を絞めていたので、とても衝撃が強かったのを覚えています。さっきまで小屋の中を元気すぎるほどに走り回っていた命が、温もりのある血が体内をかけ巡っていた命が、目の前で途絶え、温もりがなくなった血をしたたらせながら、動かなくなったという事実。正直受け止められませんでした。目の前で、人の手によって死んだということよりも、その事実が日常にまぎれ、影に隠れているということが。一羽絞めるのにも大変な時間と労力が必要です。押さえた手の中で暴れます。刃を見せないように隠した手は、よくついばまれます。その体は、とてもとても温かいのです。
 一年目。ショッキングだなとか、血だとしか思えませんでした。今思うと、全く無責任だったなぁと思います。そこに心からの「ありがとう」がなかったからです。本当に必要なのは、残酷だと思う心でも、ごめんでもなく感謝だと、私は思います。これは鶏の命に限らず、牛でも豚でも、魚でも野菜でも米でも、何にでも言えることだと私は思うのです。ここ最近も解体作業を行っています。今年は今のところ、六羽の命を頂きました。その度にやはり少し、ショッキングだなぁと思います。ただ、それ以上に、感謝を感じざるを得ません。だから私はいつも「ありがとう」と言ってから包丁を手に取ることにしています。そんな気持ちが少しでも伝われば、と思いつつ。
 卵、野菜、鶏自身の命を収め獲得した一年。卵の温かさを知り、土の偉大さを知り、命の美しさと尊さを知った一年。食べ物を当たり前に口にでき、そしてないがしろにしてきたことを知った一年。それに驚いた一年。当たり前になっている食事が、当たり前ではないことをくぐりぬけ、並べられていること。そんなことを改めて思わされ、考えさせられた一年でした。命を尊び、食を尊ぶこと。本当に大事にしたいなぁと思います。養鶏班員五名と先生とで気持ち一つに、命を育む作業班として、これからも頑張っていきたいと思います。

#キリスト教愛真高等学校 #愛真高校 #愛真 #島根 #江津 #高校 #全寮制 #キリスト教 #キリスト教学校 #感話 #高校生のことば #ことば #収穫感謝礼拝 #作業

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!