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作業のことば 米とわたわっしょい 水田山林班(2023年度)  

 わっしょいわっしょい米とわたわっしょい!万歳万歳、米だ、ばんざーい! 例年同様、土地を学校に貸してくださったフジイ拓次郎さん曰く、今シーズン最初の秋晴れとなった9月7日、愛真生と職員のみんなは稲刈りをしました。生乾きの土の上をズンズン歩き、元気に立った穂をザクッザクッと刈っていく。昨年の稲刈りがイノシシ台風どろんこ田んぼだっただけに、皆も嬉しそうに稲を刈り、紐で束ねていく。収量は玄米で360㎏、約1か月分のお米です。

 水田山林班の今年度の作業内容も、思い返せば非常に多様なラインナップでした。定例作業として山水、防火用水、井戸の整備、田んぼ、檜の収穫、さとやま作り、お問い合わせがあれば職員宅や道沿いの木の伐採、なぜが肥えの浄化槽のおそうじ。新たなプロジェクトとしては、旧グラウンドの水田、Kスタ(新グラウンドのサッカースタジアム)等がありました。しかし、私は、もっと拡大してその多様さを見つめたいと思います。

 山水を作業小屋に引く作業一つにしても、シダの命を頂きながら森の奥へ分け入り、山道を拓き現わた貯水池に装置をセットして、噴射する水と格闘しながらどうにかこうにかしてやっと水が通ります。それでも、長いホースの途中で水漏れが確認されます。その漏った水をムリクリ田んぼまで繋げて旧グラ水田の用水にして、そして今まさにその水がカモチャンの飲料水となり、体を洗う水となっています。一つの作業をポンッと叩くだけで、数えきれない程の命が浮かび上がってきます。それは作業の時間だけではありません。私たちの暮らし、電気を点けること、ご飯を食べること、ポンッポンッと叩くと、さまざまな自然の恵みと人の働きがあることを思い知らされるのです。だけど、そんな人や自然との繋がりなんて忘れてしまって当たり前、それが現代社会なのだと思います。私は東京に実家がありますが(といっても町田ですが)、都市においては特に、全ての働きや恵みブツ切れで、間接的に私たちのもとへ届いてくるような感覚を覚えます。その感覚は、生きるってものが何なのか分かりづらくなって、考えるのも面倒臭くなるという一つの病気のようなものです。そのことへの薬は、〝生きてる〟って感じることなんじゃないかと、愛真で暮らす内に気づいていきました。それは、命の存在をこんな近くで感じることができるから。頂いた命の顔を思い受けべることができる程近いから。朝のパンは製パン班がこねて焼いたパンで、パン窯で燃やす薪は水田山林班が愛真の森から頂いたヤシャブシで…という風に。

 話はパンから米へと戻り、稲刈りの時の皆の汗ばんだ顔はほんとうに綺麗でした。自然とか、土とか、一緒に手を動かすこと、音楽、笑顔、そんな〝生きる〟を直接感じて、私も生きるのです。まさに、生命の交換です。さぁ、それでは、そんなお米を頂く前に。わっしょい、アーメン、いただきます。

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