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第36期生入学礼拝(2023年度) 何のために生きるのか

第36期生入学礼拝(2023年度)
何のために生きるのか

 
13あなたは、わたしの内臓を造り母の胎内にわたしを組み立ててくださった。
14わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって驚くべきものに造り上げられている。御業がどんなに驚くべきものかわたしの魂はよく知っている。
15秘められたところでわたしは造られ深い地の底で織りなされた。あなたには、わたしの骨も隠されてはいない。
16胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されているまだその一日も造られないうちから。
17あなたの御計らいはわたしにとっていかに貴いことか。神よ、いかにそれは数多いことか。
18数えようとしても、砂の粒より多くその果てを極めたと思ってもわたしはなお、あなたの中にいる。  
(詩編139編13~18節)
 
36期生の皆さん、そして保護者の皆さま、入学おめでとうございます。36期生の皆さんの入学を心待ちにしていました。昨日は皆さんが揃って元気に入寮できたことを喜んでいます。本日は、全国各地で本校のことを覚えて祈っていてくださる方々の祈りに支えられ、また久しぶりに近隣のお客様も迎えて、36期生の入学礼拝を持てますことを神様に感謝いたします。入学礼拝で講堂に讃美歌が響いたのも久しぶりです。
 
 さて、36期生の皆さん、皆さんが数ある高校の中から選んだこの学校は、明確な理念のもとに設立された学校です。中央廊下に写真がある創立責任者の高橋三郎先生は、この学校を設立するにあたり「人は何のために生きるのか」という問いを教育の中心においた学校を設立したいと人々に呼びかけました。この問いは、本校創立以来、今も大切にしている問いです。
 
「人は何のために生きるのか」という問いは、36期生の皆さん一人ひとりにとっては、「自分は何のために生きるのか」という問いになるでしょう。本校での学び、生活の中でこの問いに向き合ってほしいのですが、この問いは、自分には生きる価値と生きる意味が存在するという前提があって、初めて成り立つ問いだと思います。
 
聖書には、あなたという存在がいかに大切な存在であるかということが至る所に記されています。その中の一か所を先程読んでもらいました。詩編139編の一部です。この詩は終始、詩人が神様に向かって「あなた」と呼びかけている詩です。13節には「あなたは、わたしの内臓を造り 母の胎内にわたしを組み立ててくださった」とあります。内臓と訳されている原文の意味は「腎臓」です。この聖書が書かれたイスラエルでは、神様に生きた動物を捧げており、その動物を屠る時、最後に出てくる器官が腎臓でした。つまり神様は、私の腎臓、すなわち私の最も奥深い部分、私という人間の中心を造り、人の目が届かず人の力の及ばない母の胎内で、私を組み立ててくださったと詩人は述べているのです。
 
14 わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって 驚くべきものに造り上げられている。御業がどんなに驚くべきものか わたしの魂はよく知っている。
 私という命が始まり、母の胎で作り上げられ、生まれ出でて今まで育ったことの不思議さと、それがいかに驚くべきことかと、詩人は神様に感謝を捧げています。
15節には、「秘められたところでわたしは造られ 深い地の底で織りなされた」とあり、ここでも自分の命が、人の力の及ばない深く秘められたところで始まったと詩人は言葉にしています。その深い、誰の目にもとまらないところで織りなされて造られた私という存在だけれども、全てをご存知の神様の前には、人の目には見えない骨すら隠されていないと言っています。
16 胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されている
私という存在は、偶然に生まれてきたわけではありません。神様の計画の中で、神様が見ておられる中で、命を与えられ、育ち、その日々は神様の書に記されていると言っています。しかもそれは命が与えられた時からではなく、「まだその一日も造られないうちから」神様の元には記されているというのです。
そして詩人は、神様に向かって、「17 あなたの御計らいは わたしにとっていかに貴いことか。神よ、いかにそれは数多いことか。18 数えようとしても、砂の粒より多く その果てを極めたと思っても わたしはなお、あなたの中にいる」と述べています。人がどんなに知り得たとしても、極めることのできない命の不思議、恵みの豊かさを、砂の粒よりも多いと感謝の言葉を捧げています。
 この学校に入学する皆さんには、聖書を真剣に学ぶということを約束してもらっています。それはキリスト教の信仰を強制しているのではなく、聖書を学ぶことによって、自分という存在がいかに尊い存在なのか、いかにかけがえのない存在なのかということを、自ら探ってほしいと思っているからです。そして自分に命を与えられた意味を考え、自分は何のために生きるのか、誰のために生きるのかを探ってほしい。使う命と書いて使命と言いますが、自分の使命を探る学びをここでしていただきたいと願っています。使命のことを、英語でcallingと表現します。聖書を学ぶことで、自分への呼びかけ、callingを聞いてほしいと願います。
 
本校の教育目標は「豊かな知性と確固たる良心を合わせ備えた責任の主体たる独立人を育成する」ことです。それは一人ひとりが豊かな知性と、しっかりとして固く動かされない良心をもって、自分の責任で判断し行動する人になることによって、自分の使命に向かって歩んでほしいと願っているからです。
 
そのための教科の学び、全寮制という人と人とが深く関わることのできる生活、豊かな自然との触れ合い、労働に汗する体験が始まります。それら一つ一つがあなたという存在を、深く掘り下げていくことと思います。どうぞ期待して、一つ一つの出会い、経験を大切に過ごしてください。
 
 この1年、世界中で、突然の軍事侵攻により、あるいは大地震、大干ばつ、大水害によって、生きることを許されなかった命がたくさん生じてしまいました。その中で今、私たちはこの豊かな緑あふれる自然の中で、生きること学ぶことが許されています。そのことも心にとめて、自分はなぜ生かされているのか、自分は何のために生きるのかを、真剣に追い求めてほしいと願います。

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