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卒業の「ことば」(2022年度⑦)Be the Light

卒業の「ことば」(2022年度⑦)
Be the Light

 
 昨日の夜、久しぶりに大人数で湯船に浸かった。卒音の歌をワーワー歌って、卒音の感想をあーだこーだと話していた時、もしかするとこの光景はもう見れないかもしれないという思いが急激に私を支配した。そして多分それは当たっていて、だから誰かが言った「ここで風呂入るの最後か」という言葉がどうしようもなく私の心に響いた。
 私はもうこの山を下りなければならないみたいだ。この山に登ってからもう3年が経つ。だけど私は決して「早かった、あっという間だった」とは言いたくない。早かったという言葉にここでの生活を委ねてしまったら、いろいろな大切なものが離れていってしまう気がするから。昨日の夜まで一緒に風呂に入っていた彼らとは、もう語り合えなくなってしまう気がするから。
 
 私は愛真に入学して間もない頃、愛真に来たことを後悔していた。期待を裏切られたような気がして、愛真に来て良かったとは到底思えなかった。「何で愛真に来たんだっけ?」と自問したら、それに対する答えは「親が愛真生だから」ということに直結してしまった。それが周りのみんなを見てると、ちっぽけで、情けなくて、恥ずかしかった。その時の私はいわゆる、本当の自分をさらけ出すことや相手の真実の部分を受け入れるのが苦手だった。特に、自分の弱みを相手に見せることは、したくても私の持つ羞恥心と自尊心がそうはさせなかった。だけどある時、「もっと自分の思ってることを言っていいんだ」と言われた。その言葉は温かくて、その上深かった。そしていつしか私は愛真生活の虜になってしまった。その言葉を追いかけていた私は、人と向き合い、自分と向き合うことの難しさと楽しさを知ったのだった。
 
 言うまでもなく私は愛真で変わった。いろんな人と喧嘩して、それでも私は受け入れてもらって、そのたびに自分の弱さを突き付けられた。「変わりたい」と思えば思うほど、理想の姿は遠のいてしまうから、私は焦りと自己嫌悪で不安になったけど、そんな時、雨降る森は優しかった。だから私は思う存分、ゆっくりと一個ずつ悩みの種を拾ってはグチャグチャにして、また広げてを繰り返した。それでホントに少しずつだけど本当の自分をさらけ出して、相手の真実の部分に心を向けられるようになり、自分のことも相手のことも、もっと深く見られるようになった。
 今、ここで皆さんを前にして、出てくる感情はありきたりだけど、どうしても感謝に尽きてしまう。御涙頂戴とかではないけれど、全ての面において常に支えてくれた両親には感謝してもしきれない。そして31期、32期、34期、35期、先生方…33期。私を受けれて、見守ってくれたこと、出会えたことに心から感謝したい。ありがとう。あなた方は私の光だった。
 
 いつかまた、一緒に歌いたいものです…。
 
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