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夕会ノートより(2010年度⑤)

私の夢は介護福祉士になることです。小さい頃からの夢でした。私は小学生の終わりくらいから中学生にかけて、当時父が施設長をしていたグループホームに、ボランティアに行っていました。そのグループホームは少人数しか受け入れることができず、入居者の方は一八名ほどでした。
そこで私はSさんという女性と出会いました。Sさんは認知症があり一人で歩くことができず、言葉もあまり話すことができませんでした。でも、とてもかわいいおばあさんで、職員の方からも好かれていました。他の入居者の方はご家族が面会に来られることがありましたが、Sさんは結婚しておらず、家族もおられなかったので、面会に来られる方もほとんどいませんでした。私はボランティアに行くと必ず一番にSさんのところへ行き、「Sさん、おはようございます」と言うと、ニコッと笑い「おはよう」と返してくれました。職員の方に頼まれ、食事介助の手伝いもしていました。トイレに連れて行き、食事後の歯みがきもさせていただきました。正直に言うと、トイレへ連れて行くことと歯みがきをすることは汚いと思って嫌でした。でもSさんと出会い、それは全く気にならなくなりました。むしろ、それをさせていただけることに感謝していました。天気のよい日にはSさんを車いすに乗せて、散歩にも行きました。今でもその時のSさんの嬉しそうな顔が忘れられません。
ある日、Sさんにコーヒーをいれて持って行くと、あまり話すことのできないSさんが「ありがとう、ありがとう」と涙を流しながら言ってくれました。私はそれが嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。家からグループホームまでは遠かったので、父と一緒に帰っていました。帰る時には必ずSさんの顔を見てから帰っていました。中学生になりしばらく経った時に、父が職場を変わり私も部活があったため、グループホームに行く機会はなくなりました。そして私の介護士になりたいという思いも消え始めました。しかし愛真に入学し、自分にはこの仕事しかないと思うようになりました。
ある日、父から電話がありました。「Sさんが亡くなった」と父は小さな声で言いました。私はそれを聞いた時、本当にショックでした。前の職場の方から父に連絡があったそうです。孫のいなかったSさんは、私を孫のようにかわいがってくれました。もう一度だけでもいいから、会ってお礼が言いたかったけれど、それは叶いませんでした。その夜はたくさん泣きました。冬休みに、父は私をグループホームに連れて
行ってくれました。久しぶりに行ったそこには、もうSさんの姿はなく、当時おられた利用者の方もだいぶ変わっていました。当時から働いておられる職員の方とお話をすることができました。「Sさんは亡くなる前日まで元気で、食事もされたんよ。だから本当に急だったんよ」とその方は言っていました。Sさんが安らかに逝かれたことを聞き、少し嬉しかったです。苦しみながらではなかったことが本当に嬉しかったのです。私が介護士になりたいと思えるようになったのは、このSさんとの出会いがあったからです。
看護師をしている一番上の兄は、看護学生の時に実習で子ども病院に行きました。そこには赤ちゃんから小学生までの重い難病を持つ子どもたちがたくさんいたそうです。兄は小さい子の面倒を見るのがとても上手で、兄弟の面倒もよく見てくれました。学校や家でもムードメーカーだった兄は、子ども病院にいる子どもたちも楽しませていたようでした。そんな兄に子ども病院から、「卒業したらうちに来てくれない
か」とお誘いがありました。しかし兄は、その誘いを断りました。兄が実習に行っている時、担当した白血病の子どもが亡くなったそうです。兄は小さな命が亡くなってしまうのが辛くてたまらなかったようです。いつも泣くことがなかった兄でしたが、その時は泣いていました。兄にとって小さな命の死は大きかったようです。
介護士になると、きっとたくさんの死に出会うと思います。出会いがあれば別れがあるのです。兄も看護師をする中で、たくさんの死と出会うと思います。だから私は介護士になって、精いっぱいお年寄りの介護をして、最後まで看取りたいのです。Sさんとの出会いは私にとって本当に大きなものでした。そして私は、Sさんと出会わせてくれた神様に感謝しています。
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