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「名前の力」創立責任者のことば

 超越的な愛、またこれに触発されて人間の中に生み出される愛、具体的にはたとえば親が子供に対して抱く愛などは、われわれが犬の首に鎖をつけ、あるいは小鳥を鳥籠の中にとじこめ、餌をやって可愛がるような愛であってはならない。これは自明のことでありまして、真の人格的な愛は、その対象を独立した個として尊重するものでなければなりません。ところで先ほど申したように、人間は自分自身になるため、真の自己を探究しながら、どこへ向かえばよいのか分からなくて、さすらっている放浪者なのですから、そういう人々に真の自我意識を与えるものは何かということが、次の問題として登場するわけです。

 結論を先取りして申しますならば、「汝」として呼びかける他者の前において、人ははじめて自我意識にめざめる、と私は考えております。この関連において、皆さんにはあるいは意外に思われるかもしれませんが、名前の持つ重要性に一言触れておきましょう。名前は決して単なる一つの符牒ではありません。これはその人格の集約された表現なのです。この問題について、ポール・トゥルニエの『なまえといのち』という本の中に出て来る一つのエピソードを御紹介したいと思いますが、ある妊娠している婦人がプラットナーという医師のもとに、堕胎についての同意を求めてやって来ました。プラットナー博士は彼女の話を聞きながら、堕胎に賛成しかねていると、彼女はこう言うのです。「先生、結局のところ、これはただの小さな細胞のかたまりじゃありませんか。」だから堕胎したところで大した問題ではない、というのが彼女の考えでした。博士はしばらく考えた後に、こう尋ねたということです。「もしその赤ちゃんを産むとしたら、何という名前をつけますか。」こういう問いかけをする医師の洞察の深さに、私は驚嘆せざるをえないのですが、この問いかけを受けた婦人は、今まで細胞のかたまりに過ぎぬと思っていた胎児が、実はすでに一つの人格であることに気づいて、愕然とするのです。この一撃が功を奏し、彼女は長い沈黙の後、こう答えました。「ありがとうございました、先生。この子を産むことにします。」

(『青年期の課題』「青少年非行化の背景」より、傍点原著者)
高橋三郎『青年期の課題』創文社、一九八一年、p.183~184(初出『十字架の言』一九七九年四月号)

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