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卒業生感話(2010年度②)

私が愛真に来てから三年が経とうとしている。一年は三百六十五日なので、三年は千日ちょっとくらいだろうか。ついでに私は十八歳と九ヶ月半なので、六千九百日弱を生きてきたという計算になる。そして私が八十歳まで生きるとすると、あと二万三千三百日の時間が私に残されていることになる。
自分の過去を見つめるということは、私の場合は六千九百日の中の忘れることのできないあの一日や、すぐ忘れてしまうような何千日のことまで見つめ直すということだ。生きることだけに精一杯な状態の人間には、とてもできることではない。
 
ここに入学した頃の私には、それを行う意味さえよく分からなかった。ただ明日の安定を求めても、その明日という日が来ることはなかった。数百日後、私は今日を過ごすことにした。楽しかった。ただそれだけで、何も考えないでいることができた。無意識の行動こそ一番自分らしい自分でいられる方法ではないかと思った。そこからまた数百日後には、私は過去を見ていた。今の自分は元からの性格と昔からの経験で成り立っているのだと感じさせられた。そこには、経験によって成長し続けていた自分と、経験によってカギのない足かせを自らはめ続けている自分の心の姿の両方があった。そしてそんな自分の過去が、時と場所は違えど、どこか似たようなことを繰り返しているように感じた。そして何より思ったことは、苦しみながらがむしゃらに何とかしようと努力した経験があってこそ、今こうして過去を見ている自分がいるということだった。どうしようもなくて苦しい時期こそ、実は人生の中で一番充実していた時間だったのかも知れない。人は計画、行動、反省を繰り返していく生き物だ。そして私は愛真での千日間で、その中の一周期を過ごし、色々なことを学ぶことができた。そして新しい周期を迎えることが楽しく思えるようになった。
 
最後に皆さん、お世話になりました。ありがとう。ではお元気で。
 
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